"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

目を使わず、手を使う、ということ

ここのところ、目の前に出てくるあれやこれやを片っぱしから処理していくような感じで仕事をしていたせいか、知らず知らずのうちに心がすり減っていたようで、休日になっても何もする気が起きないし、人にも会いたくなくなり、風呂にも入りたくなくなり、髭を剃ることすら面倒になっていた。(書いている時点では少し回復した。)冬であったのも関係あるかもしれない。そうして布団の中で寝てばかりいたら、今度は身体中の筋が硬くなってきたようで、肩やら肋やら腰やらがギシギシと軋んで、いくら筋を伸ばしてもゴリゴリ音が鳴るばかりでどうにもスッキリしない。そうして休日が終わると、何とか心を無にして、また目の前のあれやこれやを処理する。年齢のせいか目の疲労も早くて、2-3時間もパソコン作業をすると、もう物が二重に見えてくる始末で、以前よりも飛蚊症がひどくなってきたような気もする。目が弱ってきたことも心情にきっと強い影響があるのだろう。夜は起きていられないので、以前に比べて早く床に就くようになり、そのおかげで朝は普通に起きれるようになった。これは良いことだろう。

「夏の闇」という開口健の小説を読んでいて、ふと何かに気付かされたような気がした。

”瞬間に襲われてトランプのお城よりも脆く崩れてしまった自身に耐えたり、たてなおしたりするのに、おそらく私は手を使うべきだった。事物を壊すのでもいい、作るのでもいい、ただ触れているだけでもいい。手を使うべきだった。バクチでもいいから手を使えといった中国古代の哲学者や指を水に浸して内的独白にふけるインドの哲学者に倣うべきだった。"

最近何か文章を書こうと思うと、PC に向かって画面を見ながら何も思いつかず、ということが何度かあった。以前はまず紙に書いていたのに、いつの間にかそれを省くことに慣れていたのである。慣れとは恐ろしいものだ。以前は当たり前にやっていたことを、綺麗さっぱり忘れていたりする。パソコンやスマホの画面というのは私の目には光が強すぎるらしい。できることなら仕事で PC を使わなくて済めば良いのだが、と思う。ノートパソコンの 13.5 インチの画面は、仕事で使うには耐えられない年齢になってきたようだ。最近、ディスプレイを導入してみたら、効率も上がるような気がするし、疲れも少ないようなので、もっと早く導入するべきだったと思う。しかし、やはりAV機器を酷使するような仕事からは早く解放されたい。誰か、目を閉じて瞼の裏に情報が表示されるようなデバイスを作ってくれないだろうか?