"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

コロナウィルス

何やらウィルスが中国で流行っているらしいことを知ったのは、
一月中旬の頃だったと思う。
感染症SARS とか鳥インフルエンザとか、
今までも流行ったことはあったが、今までも自分が感染することは無かったし、
今回も当時はそれほど重く考えてはいなかった。

仕事の関係で、4 月から半年ほど海外で生活することになっていたが、
2 月の終わり頃からどうも雲行きが怪しくなってきた。
準備をしないわけにもいかないので、
本当に行けるのか半信半疑で作業を進めるしか無かった。
2 月の終わりから 3 月初めまでは、まだ大丈夫だろうと考えていたと思う。
しかし、出発の数日前には、ほぼ日本の外にはどこへも出られないような、
そんな情勢になっていた。
航空会社もかなり混乱している様子で、出発前 24 時間以内にならなければ、
全く連絡がつかないような状態であった。
コロナの影響で宿泊のキャンセルは払い戻しが効くようになった。
一方で、航空券の場合は、
予約金額分のエアラインクレジットを発行する旨のメールが来た。
恐らく、金額を返金することができないので、
再び渡航できるようになった時に無料で航空券を発行するという対応のようだ。
そもそも、渡航計画自体が白紙になるかもしれないので、その場合は、
コロナの影響で受けた航空会社の損害に対して、
事実上寄付金を支払ったような感じになるだろうか。
仕方がないのかもしれないが、ちょっとずるいやり方だとも思う。

コロナウィルスは未だ収束の兆しは見えないし、渡航可能になったとして、
また渡航の準備をやり直すことを考えると、面倒だという気持ちの方が強い。
旅行自体は好きなので、プライベートの旅行が無くなったとしたら、
心底憤慨することだろうと思うが、私の場合所詮は仕事上のことなので、
そこまで残念という気持ちもない。
海外で生活するというのは、異なる環境からもたらされる刺激とか、
楽しい面も多いと思うが、「日本人であること」とか「自分の人間性」、
といったものを、嫌が応にも見つめざるを得ないような、
精神的に重い側面があるだろうと思う。想像はしてみるものの、
やはりそれは実際に体験してみないことには分からないのかもしれないし、
だからこそ実際に行ってみる価値があるのだろう。
父親が英語教師であったこともあり、
子供の頃には私をホームステイに送り出そうという両親の勧めもあったが、
引っ込み思案で非社交的な私は頑なにその提案を拒否した。
当時は全く英語を理解していないのだから、
言葉も通じないところに行きたいと思う理由がなかった。
大人になった今では英語は一通り学んでいるし、
昔ほどは人と関わることにも苦手意識は無くなったので、
やぶさかではないといった感じだろうか。
言語については最近ではどういうわけか、なんとかなるだろうという、
根拠のない楽観(通じなくてもどうでもいいやと言う諦め?)がある。
そもそも日本にいても日常生活レベルではそれほど喋らなくても
生活はできるし、文法が少し変だからといってどうということもない。
ネイティブの我々だって、文法的にめちゃくちゃな言葉を平気で喋って、
それを面白がっている。
何はともあれ、私には海外の生活には縁がないようである。

志村けんが亡くなったのにはかなりショックを受けた。
人づてにさらっと、その事実を知らされたので、
初めは冗談を言っているのかと思った。
ネットで検索して調べてみて、真実だと分かった。
家で思い出していたら何故だか涙が出てきた。
芸能人が亡くなって涙が出るというのは自分でも変な気分だった。
初めての経験だったと思う。年齢を考えると両親と近いので、
他人事に思えなかったというのもあるのかもしれない。
しかし、やはり志村けんの存在は自分にとって大きかったのかもしれない。
カトちゃんケンちゃん」とか「バカ殿」などがやっていれば、
欠かさず見ていた。両親の評価はあまり良くなかったように感じたが、
子供の頃の私はテレビに出ている中で一番面白い人だと思っていたと思う。
(女性にいたずらをするネタが多かったのが特に好きだった。)
それに、あんなに味のあるいい顔をした人は、なかなかいないと思う。
その後、テレビへの露出が以前よりは減った頃に、
はにかんだような、照れ屋のような、今まで見たことのない志村けん
テレビで見たことがあった。
実は、それが素の志村けんの性格らしいと知って衝撃を受けた。
その時、自分の頭の中で一本線が繋がったような感覚があった。
自分も演じればいいのだと。
今でもそう思うが、素の私は限りなく無に近いと思う。
何もない、だから他人に対しても何の反応も示さない。
存在感がない。無なのだから当たり前ではないか。どうすれば良いのだ。
そんな悶々とした日々を過ごしていた中で、一縷の光が見えた気がした。
そんなに上手く演じられているかは分からない。
大学の頃に先輩からは胡散臭いとよく言われたけれど、
見抜かれていたのかもしれない。
でもそうするしか自分には他に方法がなかったのである。
だからなのだと思う。直接は会ったことはなくても、
志村けんは私にとって特別な存在だったのだ。