昔から世の中のことに関心が薄いので、人よりも情報を得るのが遅い。
新聞を読めとかニュースを見ろというのは、子供の頃に散々学校で指導されるので、
たいていの人は習慣として身についているように思う。
私も子供の頃は民放のニュース番組を、朝ごはんを食べながら見ていたはずなのだが、
それにもかかわらず周りの人に比べると全く話ができなくて、
友人の間では私は世間知らずだという評価だった。
(大人になり大っぴらに批判する人も減ってきたのだと思うが、今も変わらないと思う。)
ニュースを見ても内容が理解できなかったというのもあるし、世間の情報以外にも、
電車に乗るとか、店で注文をするとか、物を購入するとか、
基本的な社会生活の経験自体が少なかったので、
周りからはそんな風に見えていたのかもしれない。
正確に言うと、経験が少なかった訳ではなくて、
親と一緒にそういった経験はしていたはずなのだが、
自分の場合、自分一人で体験しなければ経験として記憶に残らないという性質が強い。
大人になってなんでも自分でやれば、
たいていのことは数回やれば覚えることができることに気づいた。
逆に、人から聞いたことは何回聞いてもすぐに忘れてしまう。
時間が経つと全く何も残らないので、文章にまとめるとか、
メモを残すことが、仕事をする上で私にとっては必要不可欠な作業になった。
特に、そのメモを見るだけで完全に再現ができる書き方が必要である。
きっとニュースも似たようなところがあって、誰かが話題に挙げたとして、
何か聞いたことのあるような話だなというぼやっとした印象はあるのだが、
「その話は今朝聞いたような気がする。」などと発言したところで、
会話にもならないし、うんうんとうなづくだけになる。
大人になってから、多くの人は話のネタを作るためにニュースを見ていることに気づいて、
そういう観点から見るようになってからは子供の頃よりは記憶に定着するようになった。
それでも日々コツコツ情報を収集するのはどうも苦手で、
日曜日にまとめてざっくりと情報を収集するくらいである。
小難しい言葉で解説されてもよく分からないので、
それぞれの人が自分の考えを語ってくれると、
自分はこの人の意見に近いかなと考える余裕が生まれてとても良い。
最近では、Web上で気になるニュースや関連する事柄を自分で検索するというのが
普通になってきたので、昔に比べると効率が良いと思う。
子供の頃、テレビの前に座って一通りニュースを見て、
自分が知りたかったニュースに全く触れられなかった時にはいつもイライラしていた。
私にとっては今でも、それを知っておくことが社会的に望ましいとされているので、
しぶしぶ知るようにしているものであるが、世間の人は本音はどう思っているのだろうか。
因みに、私にとってスポーツニュースは全く興味がない。
(もちろん、興味がある場合も時々はある。)
政治については、さすがに知らないとまずいと思い、
学生の頃などは日曜討論などを分からないながらも見続けた時期もあったが、
今思えばあまりためになったとは思えない。
現実の世界を変革していく力は、政治以外の力の方がずっと加速力があると思うし、
政治家の言葉を理解するよりは自分で考えた方がずっと明快な考えに至る。
(もっとも、そのような考えはほぼ独りよがりなものでしかないのだが)
選挙に行けというのも、
政治に興味を持つきっかけとしてという意味で言っているのだと思うが、
選挙に行くという行為自体にはどのくらいの寄与があるのだろうか。
特に自分が少数派に属する場合は、なおさらである。
こちらの方がいいかなというくらいの選択肢でしかないのではないだろうか。
選挙に行くだけでは十分ではなくて、自分が理想と考える社会的な仕組みを考えた上で、
どのような行動が日常的にとれるのかというのが大切なのかもしれない。
なかなか簡単なことではないが、そういったことができている人もたくさんいると思う。
政治に関係する人は、
どれくらいそういった個々人の意見をすくい取る努力をしているのだろうかと、
ぼんやり思ったりする。