"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

京都(2012. Jun.)

8 年前、K-r を購入してまだ日が浅い頃、
何かの用で京都に行く機会があり、
夜行バスに乗って朝の 5 時とか、まだほとんどの喫茶店も空いていない時刻に、
駅周辺に放り出された。それでも写真を撮りながら、街を徘徊していれば、
ちょうど良い時間帯になってくる。
東京から京都の便は、時期が良ければ片道 1,000 – 2,000 円で行ける場合もあり、
お金のない時には随分と助かった。尻と腰がやばいことになるが。

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR

思い返してみると、この頃から出会った人や物というのは、
現在の自分のキャラクターにとってものすごく大きな影響を及ぼしていると思う。
それまでの自分は、ほとんど溺れながらばたついているようなところがあったが、
この頃から藁だとか棒切れだとか丸太とかにつかまりながら、
少しずつ泳ぎ方を覚え始めたような、そんな時期である。

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR

なぜそのような変化が自分の内面に起きたのかと言えば、
自分にとって心地よい物ではないにしろ、
一つの軸のようなものが確立しつつあったからであろう。
それは、ある種の言語、あるいは考え方であり、
論理的な構造を持つものである。
それまでの自分の中には、言葉というものは存在しなかった。
存在したのは、ふわっとしたイメージや自分に干渉してくる存在に対する怒り、
つかみどころのない感情、由来の知れない焦燥感である。
頭の中は空っぽだった。

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR

今では以前に比べると随分と効率的に物事を進めることができるようになった。
なぜこんなに時間がかかったのだろう、と時々不思議に思うことがある。
子供の頃には、どうも自分は他の人よりも知能が遅れているのではないかと
疑うことがよくあったものだ。

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR

自分でもよく分からないのは、若い頃ほど怒りの感情が生じないことである。
他人に無関心になったせいなのか、
自分と他人は考え方が根本的に違うものだという意識が
年を重ねるにつれて強固になったせいなのか、
表面上を繕うのが上手くなったせいなのか、
とにかく、
感情の起伏が少なくなったというのは事実である。
それにもかかわらず、以前よりはるかに表現力は豊かになったと感じる。
創造力は、激情ではなく、冷めた頭脳に宿るということなのだろうか。

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Camera: PENTAX K-r, Lens: smc PENTAX-DA 18-135mm F3.5-5.6 ED AL [IF] DC WR