"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

存在感の欠如

小学校に入った頃、いつの間にか友達になった S 君という人がいる。通学路の途中で鉢合わせることが多かった。家を出るタイミングがなんとなく似ていたのだろう。特に約束をしていた訳ではないが、よく会うのである。歩いていて先の方を見ると彼の姿が見える。そうすると、私が少し早歩きで彼に追いつく。逆のこともあっただろう。そうして学校まで一緒に行くのである。私は小学校の頃、極端に無口であった。一方で、S 君は話がうまくて、私はいつも笑わされてばかりだった。きっと彼自身人を笑わせるのが好きだったのだろう。学校でも周りの人をいつも笑わせるような話しぶりだった。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

そんな彼が何を思ったか、通学中に突然、
「〇〇は存在感がないよな」
と言ったのである。〇〇とは私のことである。その時私は、
「え ...」
と黙ってしまった。「存在感ってなんだろう。」私はそれまで考えたことが無かった。「私が存在しているという実感が他人にはないということだろうか?」よくよく考えてみれば、私はそれまで、自分が他人にどう映っているのかを意識したことが無かった。全く自分の好きなように行動していて、なんの違和感も無かったのである。きっとこれが私が自我というものを意識し始めたきっかけだった。その夜は何かネガティブなことを言われたような気がして、なかなか寝付けなかったと思うが、S 君は私に欠けているもの、その本質を見抜いていたのかもしれない。もともと無口で影の薄い性格だったので、他人には分からなかったかもしれないが、それから私は何をするにも他人からどう見えているのかという意識が離れなくなってしまった。自分の後頭部の斜め上から、もう一人の自分が私自身を見ているような感覚だった。何をするにももう一人の自分がまず判断を下す。不器用なので、自分の納得する行動が取れない。もしかすると、それまで以上にもたもたと、鈍臭い人間に見えたかもしれない。結局、小学生の私は自分のキャラクターはこれでいいと納得できるものが見出せなかったのだと思う。私が考えうる他人に対する対応というのは、どれも自分らしいとは思えず、納得がいかなかったのだろう。他人からは、つかみどころのないやつだと見えたかもしれない。本人が分かっていないのだから、当然のことである。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

こんな状態が何年も続いて、6年生になった頃、担任の先生との面談で「存在感が無い」という話をされた。私からしてみれば、こちらはその件で何年も頭を悩ませているんだよと思ったが、そんなことも言えないので、「はい」と言ってその場を終わらせるしかなかった。熱心な先生なので、私も出来る限り改善しなければと思い、先生がいる前では何でも良いから言葉を発するようにした。しかし、出てくる言葉はどこかから借りたような、ちぐはぐな言葉ばかりで、今思えば、まさに大根役者のようだった。そして、どれくらいのスパンで面談をしていたのか覚えていないが、その先生との二回目の面談で「少しはましになったが、まだ存在感が無い」というようなことを言われた。先生としては、ものすごく気をつかって進歩があったことを認めてくれたのだと思うが、実際それほど変わっていなかったのかもしれない。私としては「これ以上どうすれば良いのだろうか?」という思いしか無かった。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

義務教育から解放されてから、徐々に自分の好きなものを追求するようになった。中学·高校ではビートルズをやたらと聞いていた記憶がある。日曜日に、石井食品がスポンサーの小林克也がやっていた「ビートルズから始まる。」というラジオ番組があったが、これも欠かさず聞いていた。私の好きを追求する旅もまさに "ビートルズから始まった" のである。あの頃から 15 年以上の時が流れ、結局、他人との付き合い方に関しては何も変わっていないと思う。会話については多少の技術の進歩があって、自然さは以前よりはマシになったかもしれない。今でも存在感はないのかもしれないが、そんな自分も今では受け入れているし、変えたい·変わろうなどという気は全くない。今の私の中に自己肯定感がなぜ形成されたのかと言えば、間違いなく自分が好きなものを追求してきたことがあると思う。自分とは何か? 写真を撮るのが好き。シングルモルトウィスキーに目がない。美しいものを見たり集めたりするのが好きで、自分でも作り出したいと思っている。時にはパイプタバコや葉巻をふかし、コーヒーを楽しむ。本を読み、文章を考える。それが私の本質であり、理想の自分像を追求している過程でもある。そして大変稀なことに、そんな私を受け入れてくれる人もいる。そんな人との時間を大切にしていきたいと思う。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR