"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

リモートワーク

コロナウィルスの影響で、在宅ワークとか、
仕事場に行ってもできるだけ人と接しないようにする機会が増えた。

会議は Zoom というミーティングアプリを併用するようになった。
(アプリとソフトという言葉の違いはなんなのだろうか?
 いつの間にかアプリという言い方が多用されるようになったが、
 あまり違いはないように思う。。)
平常時ならば、このようなアプリをあえて導入しようというのは、
どちらかといえば仕事の効率化に積極的な人に限られるのだろうが、
実際使ってみると案外使い勝手が良い。
資料の共有をすれば、かなりクリアな画像が見えるし、
ペンタブレットを使ってホワイトボードの共有をすれば、
まさにホワイトボードに手書きしているような感覚で説明することもできる。
注釈ツールというので共有画面に視聴者が直接書き込む機能もあるので、
お互いにペンタブレットを持っていれば実質的に対面で議論をしているのと
ほとんど変わらないように思う。
ミーティングの主催者ならば、レコーディング機能も使えるので、
記録を取っておくこともできるし、自分だけでミーティングを開けば、
説明動画を簡単に作成することもできる。
録画の開始と終了のタイミングを記録するくらいの簡単な操作で、
一つのミーティング内で、複数の動画に分けることもでき、
会議を終了した時に自動で mp4 形式で出力される。
このレコーディング機能は、
自撮りして客観的に見るという使い方ができるので、
発表の練習にはとても良いと思う。


場所を問わないデスクワークや会議は、ネット環境さえあれば、
どこにいても開催し参加できるということを多くの人が実感していると思う。
そうすると、仕事場が必要なのは、機密性の高い話題に関する会議や、
その場所にしかない特殊な機械や装置の操作、
物理的な作業を必要とする場合に限られる。
(機械の操作にしても、リモートで操作できる仕組みや
 緊急を伴うトラブル時にシャットダウンする仕組みを組み上げれば、
 その場所にいなければならない時間は大幅に減るだろう。)
それぞれの仕事の人がうまく対応していけば、
将来的には出勤時間の分散化とか、
交通機関の混雑の解消につながるかもしれない。


ソーシャルディスタンスなんて言葉ができたが、
人に会わないというのは自分にとってはあまり苦にならない。
プライベートな生活について言えば、
ずいぶん長い事(10年以上?)今と変わらない生活をしてきたし、
今の状況が特別なものだとはほとんど感じられない。
プライベートな生活に関しては、
パーソナルディスタンスとでも言ったら良いのだろうか。
子供の頃は家族で生活していた訳だけれど、
自分にはパーソナルディスタンスが日常的に必要であると感じる。
小さい頃は親に洗濯とか料理をしてもらっていたけれど、
今思えば自分が着たものを他人に洗ってもらうのはなんだか気持ちが悪いし、
本来自分に関することは自分でするべきだと思う。
もちろん、濃厚接触したくなることもあるが、
それは生活のうちの限定的な時間で良くて、
四六時中他人と共に生活するのは息がつまると思う。
物語の中で、人里離れた山小屋で、
陶芸などをしながら生活しているような人物が描かれることがあるが、
自分はまさにそんなタイプの人間なのだと思う。


人と会話することに関して、自分があまり執着がない理由を考えてみると、
一つにはそもそも声を発するのが好きではないというのがある。
聴覚が敏感なのか、自分の発声音が特殊なのか、
自分が声を発すると後で耳がジンジンと痛むし、どっと疲れが出る。
だから、がやがやと騒がしい中とか、大勢の人の前で、
声を張り上げないとならない、なんて状況は本当に苦痛である。
(自分の声が聞こえないほど騒がしい居酒屋で話をするのも好きではない。
 どうせ大したことを言っていないのに、
 なんでわざわざ声を張らないとならないのかと思う。)
人の声を聞くのはまだましだが、やはり疲れる。
文字を書くだけで済めば良いと思うのだが、
どうしても日常生活では声を発したり聞いたりせざるを得ない。
そういった観点からは、
リモートの対話というのは音量をこちらで調整できるし、
自分の声が小さくてもマイクをうまく使えば声を拾ってくれるので、
好ましいツールだと思う。
どういう心理か、冗長な話も比較的減少傾向にあるように思う。
(Zoom 呑みなんてのをやる人もいるくらいだから、
 慣れてくれば普通の会話と同じようになるのだろうが。)
ぼそぼそした話し方とか小さい声というのが自分の特徴なので、
自分の声は好きではない。
しかし、それも慣れのようなもので、人前で話す前には録音して、
自分で客観的に聞いてみる、ということをずいぶん前からやっているが、
続けているうちにまあこんなものかなと思えてくる。
もちろん、聞き取りにくい発声は改善しようと努力はしているけれども、
日常的な会話はなかなか直らないようである。
(実は、暇を見つけては、そういったことを、
 もう 10 年以上続けているのだけれども... )
もちろん、ちゃんと声を張れば、客観的に聞いてもそれほど悪くはないが、
日常的に淀みなく朗々と話し続けるのは、
なんだか自分のキャラクターイメージに反するようにも思う。