"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

作文

小学校に上がって少し経った頃に、親戚の家で、6歳くらい上の従兄弟と遊んでいて、
「学校は楽しい?」と聞かれたので、「つまらない」と答えたら、笑われた。
「なんでつまらないの?」と聞かれたので、「勉強がつまらない」と答えた。
その後のリアクションはよく覚えていないが、「 ... 」と少しの沈黙があったように思う。
小学校の授業と言えば、図工の時間以外は、ほとんどが嫌な時間だった。
先生の話を聞くような時間は、集中力がまず続かないのだった。
ジャポニカ学習帳の表紙にツノが三つあるカブトムシの写真があって、
自分の体の軸を一番長いツノに見立てて、
座ったまま折り曲げた両足を椅子の上に立てると、
両脇の短い二本のツノのようになるなと思ってやっていたら、
授業中だったので先生に怒られたことがある。
一番後ろの席だから油断していた、という訳ではないと思う。
たまに本当に発狂しそうなくらい耐え難いことがあって、
ラスト 15 分くらいになると、黒板の上にある時計を 5 分ごとに眺めては、
まだ 2 分しか経っていないやとか、
心の中で休み時間になるまでの一人カウントダウンをよくやったものである。

待っていれば終わるものはまだましなのだが、最高レベルの苦行の一つが作文である。
作文の場合、何かを書かない限りは当然ながら終わることができず、
クラスにはいつも決まった居残り組がいて、私もその常連の一人だった。
運動会とか、何かイベントが催されると、少ししてから必ずこの時間があった気がする。
こちらもそれを学習してくるから、イベントが始まる前から、
この後また作文を書かされるのかと憂鬱な気分になり、イベント自体が嫌いになった。

今、冷静に考えてみれば、イベント自体にそれほど心を動かされている訳でもないのに、
何でも良いので感想を書いてみましょうなど、無茶振りもいいところだし、
題材がそもそも曖昧で高度すぎるのではないだろうか?
運動会など、「暑い中汗だくになって、クタクタに疲れた挙句に、
他の生徒の応援のために声出しまでさせられて最悪だった」、
というのが本心だったとしても、
子供ながらにそんなことは書くべきではないことは内心分かっていて、
何かこう当たり障りのないことはないかと頭を悩ませる時間だった。
私にとって感想なんてものは、面白かったか、つまらなかったかの二択しかなかった。
そんな私が当時どのようにして文章を搾り出していたか思い返してみると、
「もしこの文章を先生やクラスメイトが読んだ時にどう感じるか、
できるだけ目立たずに無難な文章であること」
が、考えた文章を最終的に採用するか否かの判断基準だった。
今の私ならば、
50 m 走の前の緊張と心情の変化を刻一刻と描写するような文章を書くかもしれない。
当時の私にはそんな文章を書くという発想自体が無かったと思うが、
仮に思いついたとしても、発想が小学生らしからぬという理由で即却下したことだろう。
今思い出しても不思議に思うくらい、目立たないようにすることに固執していた。
先生や両親はいつでもその逆を期待していたようだけれど、今になって思えば、
その行動は私なりの反発だったのかもしれない。
表面上は無邪気を装いながら、心の底では、あなたたちの思い通りにはならない、
という断固とした思いが、
自分でも認識できていないような深層心理としてあったのかもしれない。

他の生徒の作文を読んでみると、ちょっと自分には書けないなという類の文章があった。
自分とは精神の構造が違うのではないかと思われるような文章で、
ある種の憧憬を抱くと同時に、
よく恥ずかしげもなく他人より突出したものを堂々と見せびらかせるものだなという、
歪んだ嘲りのような心情もあった。
そのような感情の根源は、自分とは圧倒的に異質なものに遭遇した時の感覚で、
その文章が具体的にどこが良いのかは全く理解できなかったし、
今読めば小学生の入選しそうな作風·文体というジャンルの作品だと感じることだろう。

当時私は教育の一環として、単に文章を考える機会が定期的に与えられているにすぎない、
ということを理解していなかったが、もしそう言ってもらえていたら、
いくらか気が楽になっていたかもしれないし、逆に楽しんで文章が書けたかもしれない。
どういう訳か、私は自分に関する真実しか書いてはいけないように思い込んでいた。
その縛りは子供にとって結構きついものだ。
嘘にならない程度の真実を含み、かつ、一般的な小学生の思考し得る範囲内の発想で、
かつ、当たり障りのない文章を捻り出そうとしていた訳で、
そんな作業が面白いはずがない。

私が忌み嫌っていた、大人に対する "媚び" のようなものを含む文章、
今思えば私が捻り出そうとしていた文章も結局は程度の差こそあれ、
"媚び" にまみれた文章でしかなかった。
あの苦しい時間が私の性格や思考回路にどんな影響を及ぼしたのかは分からないが、
嘘にならない程度の真実を書くという、
真実と虚構の入り混じった文章を創作していたという意味では、
文字どおり "作文" の訓練には多少なりともなっていたのかもしれない。