"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

落語 with コロナ

コロナのせいも多少あるのか、ここのところ忙しくて文章を考えることもなく、
実際に筆を動かそうという努力もせずに一月半くらい経っただろうか。
やることが多すぎると、心身ともに疲労が蓄積し、
だんだんと思考停止状態に陥っていく。
風呂に浸かりながら、書けそうなことはないかと、いろいろ考えを巡らせるが、
メモをしている時間がないので放っておくと、何を考えていたか忘れてしまう。
だが、書けそうなことがあったという意識だけは残っているので、
あとで思い出してもこんな話題だったかなとか、
もっと良い内容だったのではなかったかなどと疑いだすのだが、
おそらくそんなことはないのだろう。

緊急事態宣言が解除された頃は、だいぶ感染者数も抑えられていたし、
日本人はコロナウィルスに対して耐性があるのではないかと、
巷ではまことしやかに囁かれたりもしていたが、
最近の増加傾向を見るとそんな淡い期待も吹き飛んでしまうようだ。
東京アラートを発令したりして、
かなり慎重だった日々はずいぶん昔のことのように感じる。
いつの間にか、過去最多感染者数の記録を日ごとに更新する勢いで、
200人-300人越えと感染者は増加する一方である。
職場のことを考えると、
連休といっても自粛すべきなのかなといった状態に逆戻りである。
実際には、あいにくの雨だったし、いくら寝ても疲れが取れず、
ほとんど寝て過ごしたような連休であった。


古今亭菊之丞 師匠は、かなり早い段階から、でじたる独演会というのを
YouTube で配信してくださっていて、最近の楽しみの一つとなっている。

古今亭菊之丞でじたる独演会 - YouTube

落語には大学生の頃に少し興味が出て、ポッドキャストという
AppleiTunes で配信される音源を聴いていた時期があった。
アニメの『昭和元禄落語心中』は大好きな作品である。
寄席に行ってみたいとも思っていたが、まだ行けていない。
菊之丞 師匠の話では、噺家さんは 800人程いるらしいが、
寄席は四軒しかないということで、大変な世界なのだろうなと思う。

日常的な会話の中にも、「話のオチは何だ」とか、
交渉ごとをしていて「この辺が落とし所では」なんて言い方があるが、
きっとこれは落語に関連があるのではないかと思う。
(ちゃんと調べた訳ではない)
最近のお笑い芸人のネタに慣れているせいか、オチというと、
ネタの最終的な終着点というか、それまでの話の総括的な決着、
とでもいうような、やや大げさな印象があるのだが、
落語に関して言えば「話を終わらせるための少しだけ気の利いたセリフ」
くらいのものである。
お笑いではオチの質の高さに関する重みが高く、
ある種の奇抜感が求められているように感じる。
(お笑い芸人でもないのに、
日常会話にそれを要求されるのは酷な話ではないだろうか。)
極端な言い方をすれば、ネタという言葉がまさに表しているように、
お笑いはコンテンツを一番の売りにした芸だと言えるかもしれない。
(もちろん、すべてがそうであるわけではないと思う。)
一方、落語は話の筋書きを既に知っていたとしても、
何度見ても楽しめるもので、そのような意味では、
コンテンツを一番の売りにしているわけではない。
噺家さんの話し方 · 調子 · 声色 · 所作 · 演技、
そういったものを何度もかみしめる楽しさがある。
落語というのは、そういった類の芸であると思う。
もちろん、話の内容も面白いのだが、
話している様自体の方に芸としての重みがあるのだろう。
持ち時間によって、どうにかきりをつけて終わらせなければならないので、
長い話は適当なところで切られたりすることもある。
切りをつけるための落ちがある話ということで、落語というのだろう。
菊之丞 師匠の『片棒』、
文菊師匠(でじたる独演会の特別ゲスト)の『あくび指南』
は何度聴いても飽きることがない。絶品である。

という、特段に落ちのない話でございました。