"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

締め切り

今週のお題「サボる」

(たまたま書いていた内容がはてなブログの「今週のお題」と一緒だった。因みに、これに応募することが何なのかはよく理解していない。)

 

2 月からほとんどブログ記事を書いていない。
「毎週 1 回更新」と自分に課した縛りもどこへやら、
平気で半年くらいサボっている。

「どこへやら」という言葉、古臭い言葉だと思い調べてみた。
weblio 辞書によると、「何処へやら」は、
行き先が分からない状態で、どこへ行ったのだろう、どこへ向かったのだろうか、と問いかける表現。
新明解国語辞典によると、「やら」は、
全く見当がつかないことを表す。
とある。
とすれば、自分では見当が大方ついているのに、
このような表現をしているのは反語的表現になるのだろう。
母国語というのは、表現の意図を厳密に考えなくとも、
何となく雰囲気で言葉が出てくるのが不思議である。
第二言語だと、なかなかこのようにはいかない。
表現の意図があってからの、言葉である。


7 月ぐらいにアップロードした記事も以前に書き溜めたものなので、
実質的に文章というものを半年くらい書いていないし、
これは自分と半年近く向き合っていないことと同じである。
もともと、言葉が出てこない性分なので、
捻り出すように文章を書いていた訳だが、
実際それだけの時間が作れなかったというのもある。
今となっては、一体何をしていたのだろうと、
半分記憶喪失のような気持ちなのだが、
よく思い出せないくらいやるべきことがあるというのも、
精神的健康には良いのかもしれない。

暑い夏のせいか、今では 24 時にはたまらない睡魔に襲われ、
朝の 8 時に目が覚めるという生活である。
不思議なことに、ベースがある程度できてくると、
たまたま仕事が遅くなって午前 2 時に寝ることになったとしても、
朝はなんとなく 8 時くらいに目が覚めるようだ。
もちろん、それだけ睡眠時間が削られる訳なので、
連続するのは無理である。
これが暑さによって午前 8 時に起きれているのだとすると、
これから冬に向かってどうなるのか、恐ろしくなる。

そんな中、昨日は家で仕事をしていたはずが、
いつの間にか電気をつけたままベッドに横になって寝ていることに
午前 3 時ごろに目が覚めて気づいたので、電気を消して寝ようとしたが、
少し眠気が覚めてしまった。
それで、しとしと降る雨を窓から時々眺めたりしていたら、
「締め切り」というタイトルで何か書けそうだなという気分になった。
「締め切り」というのは本当に嫌なものだが、
仕事というのはこれがなければ進まないものである。
まだ余裕がある時は、割と気楽に進められるのだが、
期日が迫ってくると、焦り出すし、胃がキリキリ痛むようで、
頭は混乱し始め、一向に手がつかなくなる、という時期がある。
実際には、まだ時間があるのだが、完成への道筋が不明瞭であったり、
想像している完成形に比べての到達地点の低さ、
などが不安を生むのだろう。
また、いくつもの案件の締め切りが同時進行で押し寄せてくると、
パニックを起こしそうな気分になる。
そんな時に、冷静にすべきことを淡々とこなしてゆけば良いのだが、
どうしても毎回少し混乱してしまう。
そんな時、自分の場合は割とハッと我にかえるような瞬間があり、
何をどのような順序でこなし、良い結果が得られなかった場合は、
何をするかという作戦を立てる。
そこからは割と集中して取り組むのだが、
大体締め切りギリギリになってしまう。
締め切りに余裕を持って仕事を進められる人が世の中にはいるが、
私にはこのような人達が一体どんな頭の構造をしているのか、
皆目見当もつかない。
同様に、そのような人達も私のことをそう思っていることだろうが、
私と彼らは言ってみれば、ねじれの位置の人生を歩んでいるようなもので、
交わるということがないのだろう。