"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

ウィルスとは何なのか?

新型コロナウィルスが蔓延してもう1年半は経っただろうか?
未だに収束の兆しは見えず、感染者数は増える一方である。
3日前に2回のワクチン接種を終えた。
2回目は1回目よりも発熱などの体の反応が強く出るとのことで心配していたが、
私の場合はそこまで酷くはなかったようだ。
実際、接種 2 日目に体温は 37.5 ºC くらいまで上がり、怠さがあり、
3日経った今でも注射を打った場所が少し痛み、
胸のあたりが少し息苦しいような気もする。
接種会場で並んでいると、改めて非常事態下にあることを実感する。

私は専門家ではないので、以下の文章はあくまで一般人の妄想である。

ウィルスは、核酸とそれを覆うタンパク質の殻で構成されており、
自らは増殖することもないため、生物ではないと考えられているようだ。
しかし、核酸(DNA または RNA)が生物の細胞内に入り込むと、
宿主の生命現象、つまり DNA や RNA を複製する能力を借りて、
増殖する。
つまり、生物は日々細胞を分裂させて代謝を行っている訳だが、
細胞内にウィルスの DNA や RNA が入り込んでしまうと、
必然的にそれらもコピーしてしまうということらしい。
例えるならば、生物の細胞がコピー機だとすると、
ウィルスはコピーされる情報のようなものである。
生物の体内で、本来必要のない物が大量にコピーされると、
体の防御機構がそれを排除しようとするので、
風邪のような症状が出ることになる。
発熱というのは、本来はそのような外来性の異物を排除する反応を効率よく進行させるのに、
高い温度の方が効率的であるために起きるものらしい。
細胞はなぜそのような無駄なものを取り込んでしまうのか不思議であるが、
どうやらウィルスの外側のタンパク質の殻が細胞に取り込ませるのに一役やっているようである。
70%以上の濃度のエタノールと石鹸による手洗いという行為は、このウィルスのタンパク質の殻を破壊する効果があり、これによってウィルスの DNA や RNA が細胞内に取り込まれる確率を大幅に下げることができる。
マスク着用によるフィルター効果もかなりあるようで、
2020年度のインフルエンザの感染者が例年よりもかなり抑えられたというデータはマスク着用の習慣化と関係がありそうである。

感染力のより強い新しいタイプのウィルスの出現は感染者数が増えている限り必然的な結果である。
なぜなら、それらは DNA や RNA のコピー時のエラーに基づくものだからである。
大量のコピーをしていると、偶然間違ったコピーがされてしまうことがあり、
たまたまそれが今までのウィルスと比べて毒性が強かった場合、
今までのより弱いウィルスを淘汰してしまう。
偶然生じるエラーなので、より毒性の弱いウィルスができることもあると予想されるが、これらはより強いウィルスに淘汰されると考えられるので、観測されることがないのだろう。
日本以外の地域で新たなタイプのウィルスが発生した場合、それが入り込めばたちまち感染者が増えるのは当然だが、仮にそれを抑えたところで、国内の感染者数がある程度維持されている限り、遅かれ早かれ同じようなタイプのウィルスは自然に発生しても何もおかしなことはない。

報道を見ていると何か違和感を感じることがある。
「ウィルスと人間の戦い」のようなニュアンスの表現である。
ウィルス側は何も増えたい意思があるわけでもないだろうし、
封じ込められたとしても何も無いだろう。
人間にとっては、それが実際に生命を脅かす現実があるので、
ウィルスがどんどん強力なものに進化する外敵のように感じるが、
実際はただの化学物質が大量にコピーされ、
たまたま毒性を持つものが生まれてどんどん増えているという事象が起きているだけである。
確率の問題である。
感染者が一定数存在する限り、ウィルスの複製は繰り返され、
今後も新しいタイプは発生していくのだろう。

では、なぜそのような仕組みが自然の中で存在しているのか?
もしかすると、ウィルスというものの存在自体、生物が弱い個体を間引いて、
適度な個体数を維持するために獲得した仕組みなのかもしれない。
しかし、知能を持った人間は、その仕組みに争うしか選択肢がなくなっているのである。
他の生物はどうかというと、何もせずともウィルスと均衡を保っているのだろう。
痛みや死というのは基本的には避けたいと思うものだけれども、
ウィルスの問題は、人間にとっての生と死、人間が獲得した技術としての医療の価値観、などを考えずにはいられなくなる。

重ねて言うが、私は専門家ではないし、以上の文章はあくまで一般人の妄想であって、誰かを誹謗中傷したり、ある思想に扇動する目的で書いたものではない。