"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:4 300mm ED [IF] SDM

ブログを週一で更新するようになって、いつの間にか 2 年が経過していた。Hatena Blog を開設したのは 3 年前だが、何かを検索していてたまたま引っかかったサイトが、デザイン的に、雰囲気的に、いいなと感じたのがきっかけだったと思う。最初はなかなか文章が書けなくて、ほぼ 1 年位は全く投稿していなかった。実を言うと、Hatena Blog の前にも FC2 で文章無しの写真だけで投稿していた時期がある。しかし、文字がないと全く検索に引っかからないせいか、アクセスは最初から最後までゼロだった。文章を書こうかと、下書きを作ったりもしていたが、クセが強くて自分が読んで恥ずかしくなるレベルで、とても公開できるような代物ではなかった。「自分の文体はこれでいいや」という実感が、最初はなかなか持てなかったのだと思う。それまでに読んで影響を受けた本、文体を借りてきたような違和感のようなもの、それを随分と長い間、こじらせ続けていたようである。巷では、これを中二病というものらしい。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

Hatena Blog はデザインが自分にとって心地よく、書くにも読むのにも、ちょうど良い。FC2 はブログのアップデートの方法や GUI が古臭い感じがあるし、使用感もちょっと面倒くさいなと感じる。note は文字のデザインやロゴの雰囲気があまり私の好みではない。note はブログと言うよりは、単発の記事を不定期に公開するのに適しているように思う。また、別の人の記事でもデザインが統一されているように感じるので、いろいろな人の記事を集めたもの、という雰囲気がある。他人の記事へのアクセスのしやすさは note の方が良いと思うし、twitter のような SNS に慣れている人には note の方が親しみやすいのかもしれない。恐らくその逆の理由で、私には親しみにくいのだろう。私は極めて個人的な記録のようなものを、他人とのやりとりをできるだけ排除した形で集積したいのである。このような日記と言ってもよいものを公開することに何の意味があるのかとも思うが、やはり、公開するかしないかというのは、モチベーションに大きな差があり、文章自体の質や書くことに対する強制力が全然違ってくる。公開しない日記など、私のような面倒くさがりな人間には、3 日ともたないだろう。週に 1 回のペースで更新するという、自分への制約があるからこそ文章を書こうという気になるのである。公開しない日記だとしたら、恐らく極めて独善的で偏屈極まりない文章になってしまうことだろう。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

私の場合、文章を書くというのは、自分の精神を安定させる意味合いが強いので、他人に読んでもらえているかはそこまで重要視していない。そうは言っても、読んでいただけているという事実はやはり嬉しいものである。Hatena Blog には簡単な解析ツールが付いていて、日に何件アクセスがあったかを確認できる。今では、日に数件、だいたい 10 件程度のアクセスがあるのだが、ごくたまに、ものすごい数のアクセスが同じ日にあったりして、何が起きたのかとびっくりする。脳の中で何かがドバッと出るような、twitter などでよくバズっている方は恐らくこんな感じなんだろうなと想像する。これは恐らく同じ人が別の記事へ渡って読んでくださっているのだろうなと思うと、本当に嬉しいことで、そんなあなたのおかげで私は生き続けていられるのですと言いたい。と、この文章を考えていたら、今週は更新が遅れてしまった。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

ちょうど良い機会なので、振り返ってみると、1 年目はストックがほとんどなかったこともあり、文章を考えるのもまだまだ慣れていなかったので、相当辛かった記憶がある。2 年経った今は、幾らかストックがあるので、どうしようもない時はそれをアップすればいいやという安心感があり、そこまで苦でもなくなってきた。日常的に文章を考える習慣ができたせいか、不思議と日常会話も以前よりも言葉が出やすくなってきたように感じていて、私もようやく普通の人間に近づいてきたかなと感慨深い。会話における瞬発力のようなものがついてきたと思う。写真の方はストックがありすぎるくらいで、そこに合う文章を考えるのが大変である。写真を撮っている時は、言葉を介して思考している訳ではなく、感じるものをそのままにシャッターを押しているので、言ってしまえば言葉はなくとも完結しているはずなのである。それに、被写体というのはこちら側の意図とは無関係に向こうから突然目の前に現れてくるものなので、それらに対して柔軟に即座に反応する瞬発力のようなものが常に働いている。後で写真を見返して、その時の心情をコメントすることはもちろん可能であるが、断片的で散漫なものになりがちである。全体で何かしら文脈を持たせようとすると、それは新たな創作のようになってきて、文章だけで綴ることの方がまだやりやすいかもしれない。文章については、今の所自分の体験とか、内に生じてきたものを表現することにはだいぶ慣れてきたが、創作のようなものはなかなか書くことができていない。とりあえず、自分の中に堆積している書けるところをすべて出し切って、何も無くなった時、ゼロから何かを紡ぎ出せるようになるのではなかろうかと期待している。何も出ないかもしれないが。書けそうになったら、縦書きの「カクヨム」と言う媒体も使ってみたいと思っている。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-DA☆ 1:2.8 200mm ED [IF] SDM