"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

「思いやり」の欠如

小学校の頃、どんなきっかけがあったのかよく覚えていないが、
自分より下の学年であるにも関わらず親しくしてくれる人がいた。
いつも遊んでいたというほどではないが、
通学時や学校内で会えば近寄ってきて何か話しかけてくれる。
そんなちょっと “大人っぽい” 付き合いだった。

私の小学校では、年に一度くらい体育館に集まって、
生徒が演じる劇を鑑賞するような機会があった。
文化祭のようなものだったのだろうか?
自分は演じる側をやった記憶がないので、いつも裏方だったのか、
あるいは、生徒会か何かが演じる方はやっていたのかもしれない。

体育館の窓全てに暗幕をかけると、真っ暗な空間になり、何も見えなくなる。
日の高い時間帯から、結構長い時間(子供の感覚では3-4時間でも随分長く感じたものである)そんな空間で体育座りしていると(床に直に座っていたのか、防災頭巾を座布団にしていたような気もする)、なんだか不思議な感覚になる。時計も見えないので、時間の感覚が無くなり、休憩時間に一部の暗幕が開かれると、まだ外がずいぶん明るかったのだということに驚いたりする。休憩時間には、体育館の天井をぼーっと眺め、天井の鉄骨にボールが引っかかった時の様子を想像したりしていた。

そんな休み時間の合間に、件のいつも話しかけてくれる子が近寄ってきた。
恐らく私を見つけてわざわざ話しかけにきてくれたのだろう。
「僕、次の劇で黒子をやることになっています。」とか、そんな話であった。
私はそんなことをわざわざ言いにきてくれたのが嬉しくて、
これはちゃんと見ておかないといかんなという気になり、珍しく前のめりで観劇した。
次に会ったら絶対感想を聞かれるだろうなと思い、
コメントをぼんやり考えながら見ていると、そんな見方はしたことがなかったので、
なんだか全然楽しめなかった。いつもより集中していたはずだが、
前半を見ている限りではコメントすべきことは特に何も思い付かなかった。
黒子の彼は劇の前半にはまだ出てこなかった。劇の内容よりも、
いつ黒子役の彼が出てくるのかということばかりが気になってしまっていたのかもしれない。
ヤキモキしながら劇の後半、クライマックス的な場面で、満を辞して黒子の彼が登場した。
彼の黒子としての身のこなしは素晴らしかった。
足さばきやマイクを差し出す雰囲気、人から人へと移っていく時の影のような動き、
まさに忍者を連想させるようだった。
背丈がもともとそれほど高くなくて、どちらかといえば小さな身体なので尚更のことである。
私は予想以上の彼の "演技" にすっかり感心してしまった。
劇の内容などそっちのけで、彼の動きだけを目で追ってしまっていた。
彼があらかじめ私に知らせて注意深く見ていたというのもあるだろうが、
何も知らなかったとしても、
あの黒子の動きは素晴らしくかっこいいなと気付くようなレベルだった。

演劇が終わり、しばらくして案の定彼がまた話しかけに来てくれた。
「どうでした?」と聞かれて、「なかなか目立っていたよ。」と答えた。
彼の顔が少し歪んだように見えた。
バタバタしていた時で、あまり時間もなさそうな時だったので、
手短に答えたつもりだった。
後でよくよく考えてみれば、黒子というのは目立ってはいけないもので、
「目立っていた」は褒め言葉になっていない。
実際、黒子としての彼の動きは完璧で、影のように目立ってはいなかった。
あの時私は「黒子としての演技力の高さがね ... 」と付け加えるべきだった。
私はよく 「思いやり」 に欠けると言われることがある。
あの時、言うべきセリフをとちったことを、私は今でも後悔している。