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写真を中心に、ほとばしってるものを。

Men's Rings メンズ リング エキシビション イヴ·ガストゥ コレクション(2022. Mar.)

六本木の 21_21 で「Men's Rings 展」をやっていたので行ってきた。(書いている時点で会期は終了している。)建物の写真を web サイトで見ると、大きな展示会場なのかと思ったが、比較的こじんまりしたスペースで 30分くらいあれば見れるくらいのちょうど良い大きさである。入場料は無料で、希望者には分厚い本のような冊子も貰えた。Van Cleef と Arpels の支援によるジュエリーと宝飾芸術の学校 LECOLE 主催ということだが、なんとも太っ腹なことである。

レコールとは | L'ÉCOLE School of Jewelry Arts

思い出せば、以前に同じ会場で 「GOOD DESIGN 賞」の展示していて入ったことがあった。向かいの建物で「虫展」をやっていた時である。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

イヴ·ガストゥという人のコレクションした 1,000 点ものメンズリングの恐らくは一部を展示したもので、ほとんどの指輪は展示専用に作られたのではないかと思うくらい大きなものばかりで、美術品の気迫がある。分類分けされた展示になっており、キリスト教の司祭の Ring など如何にも貴重そうなものもあれば、我々が普段身につけるような Ring もあった。貰った冊子の「III キリスト教神秘主義」の項目の冒頭に次のような一説がある。

" かつてある子どもが、少年期を過ごした南フランスの街カルカソンヌで、大きな宗教行列に魅了されたことがある。教区の司教の指にはめられた見事な指輪を崇め、接吻する信者たちの行列に加わったその子は、その指輪に再び接吻しようと何度も列に加わった。あまりにも何度も戻ろうとする息子を母親が止めねばならなかったが、少年は母親に真顔で抗議した。「でもね、お母さん、あんなに綺麗な指輪なんだもの!」イヴ·ガストゥが熱をこめて語ってくれたこの自身の幼少期についての愉快な逸話に、彼の情熱の出発点を見ることができる。 "

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

そうして、 自分がアクセサリーに興味を持ち出したのはいつだったろうかと少し昔を思い出した。高校の時、勉強が嫌で仕方がなく、美術·図工の時間も少なくなったし、精神も不安定で自分で手を動かすことも無くなっていた。無気力で自堕落な感じで、学校の日々の課題をなんとかこなしながら生活していた。進学校であったからか分からないが、授業にはほとんどついていけないし、若いせいか社会の授業では毎回睡魔に襲われて、白目を剥きながら板書を写していた。後で見返すと、何が書いてあるやら、とても読めない、ということもよくあった。当時の先生は、一体どう思っていたのだろう。何だか少し申し訳ない気持ちもある。今思えば奇妙なことだが、私の場合、ノートを見直すことがほとんどなかったように思うが、一般的にはどうなのだろう、試験前に見直すものなのだろうか?

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

当然ながら、大学に進学したいとは全く思っていなかった。しかし、親の大学への憧れなのだろうか、旧帝大がどうのこうの、といった話は私が小さい頃からされていたし、ことあるごとに私を医者の道へ勧めるような話を耳にタコができる程聞かされていたが、当の本人はどちらの話題にも全く興味がなく、聞き流すのを常としていた。そうは言っても、大学へ行くことはどうにも避けられそうに無かった。模試で点数が悪いと、怒りが収まらないのか、何時間も説教されるということも何度かあった。今、自分に置き換えて見ると、それ程の熱量で人を叱責できる自信は皆無で、いったいどこからその感情が生まれてくるのか、不思議である。そんな中で、やりたい事はいろいろと考えていた。思いつくのは伝統工芸士とか、ものを作る仕事、Webサイトで「ヒコ·みづのジュエリーカレッジ」という専門学校を見つけて、行きたいなと思っていた記憶がある。ジュエリー学科と機械式時計学科があって、内心ではジュエリーの方に惹かれながらも、当時の私は男の私がジュエリーの道に進むのは何か変なような感じがあった。家庭環境がそうさせたのか、そのような時代だったのか、どちらにせよ、そんな話は親には言い出せなかったし、言ったとしても時計学科に行きたいなどと言ったかもしれない。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

そして私が自分の好きな事をどう実現するかについて、いろいろ考えた末に下した結論は、とりあえず身の廻りの人々が納得するような進路で自分がギリギリ我慢できるような仕事に就けるような選択をする事である。仕事についてはこだわりを持たないということ、自分の好きな事は趣味として他人から全くの介入を受けずに行うということ、いろいろ模索する中でいつか自分なりの表現を実現したいということ、そのような結論に達した時、自分の中で何かもやもやとした霧が晴れたような感じがした。そして、あれから恐らく20年程経過してみて、その選択が正しかったのかどうか考えてみると、良い面もあれば悪い面もある、というごく当たり前の結果である。仕事についてはそれなりに生活しているので良かったのかもしれない。また、予想外の収穫として、自分が元々それほど得意ではない考え方を習得できたので、よりものの捉え方の幅が広がったというのと、作業効率·物事を進める手順の最適化が速くなった、ということがある。好きな事についても、趣味としてできる範囲ではやれている。しかし、やはり時間が圧倒的に足りない。いくら効率を上げても、使える時間は限られており、特に表現を模索することを考えると、効率が良いことが必ずしも良いとは限らないだろう。膨大な時間を贅沢に使い、淡々と作業を進めていくことで見えてくるものもあるのではないかと思う。そして、生活できるかという点については、できる人はなんとかやっている訳であるし、できるかどうかとりあえずやってみて、できなかったら進路変更する方が良かったのではないかと思う。しかし、それは言わば私の思いや熱量が足りなかったということなのだと思うし、過ぎ去った時間を嘆いても仕方がないので、現在の自分の環境でうまく進めていくしかない。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR

随分と脱線したが、最近の私はアクセサリーを購入することに躊躇がなくなった。無節操と言ってよい。私自身は元々、リング·宝石·シルバーアクセサリーのようなものに興味をものすごく惹かれながらも、他人からどう思われるか、を気にして、自分の気持ちに蓋をしていたのだと気づいた。それらを常に身につけることは、もちろんできないが、プライベートな時間では身につけたいと思う。身につけるという性質上、指10本分のRing が手元にあったらそれで欲求は収まるだろうと思っていた。しかし、今回のコレクションを見て、新たな地平を見てしまった気がする。アクセサリーには単純にコレクションという側面もあるということ、また身につけるにしてもどのように組み合わせて身につけるかというコーデという考え方もある。きっと私は気に入った Ring を見つけたら、迷わず購入すると思うし、そのうち作成する側もやってみたいと思う。

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Camera: PENTAX K-1, Lens: smc PENTAX-D FA MACRO 100mm F2.8 WR