"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

「ギャラリー · ストーカー」

2月の下旬からしばらく外出していない。
コロナウィルスのことを気にして、という訳では無い。
2020年の4月から半年間、仕事の関係で海外で生活することになり、
いろいろと準備を進めているが少々疲れてきた(少々ではないな、相当 ... かな)。
コロナウィルスの影響で無事に渡航できるのかもよく分からない。
2/29, 3/1 に予定されていた CP+ にはイルコさんがイベントに出るというので
参加したいと思っていたのだが、中止になったのは残念なことであった。
しかし、実際は出かける余裕はなかったように思う。
仕事上の業務の一部も中止になったりしているが、多少楽になったので内心は嬉しい。
(やらなくて良い形式的なものは今後もやめてほしいというのが本音である。)
個人事業主の人は、こういう情勢だとイベントができなくなったり客足が減って、
苦しい時期だと思うが、一方で私の場合は特に影響はなく、
むしろ仕事場に籠って本来の業務に集中できる。
海外生活に備えて、かなり節約していたので、
以前はたまに通っていた Bar もずいぶんご無沙汰になってしまった。
こんな情勢だし、行きたいようにも思うが、睡眠欲が勝ってしまうような状態である。

 

4月からの半年間の経験はきっと得ることが多いと思うので、
ブログなど何かしらの形にまとめたいと思うが、期間中は何かと忙しいだろうと思う。
それで、1 月からここ 2 か月くらいで 6 か月分(週一回更新)のブログの予約投稿をした。
仮に明日死ぬことになっても、あと 6 か月は勝手に更新されることだろう。
内容の質が低下している感は否めないし、季節感がなくなってしまう点は残念ではある。
とにかくきつかったが、週一回更新は自分で決めたルールなので仕方がない。
いつの間にか、書き続けることに対して異常な執着心が育っていた。
今となっては、写真を撮り、ブログを書くことが、
生活の中の一番の楽しみと言っても良いかもしれない。

と、ここで書くことがなくなり、下書き保存してしばらく放置していたのだが、
昨日は twitter の TL がずいぶんと荒れていた。
twitter はずいぶん前に登録だけはしていたものの、見始めたのは比較的最近である。
何をつぶやいて良いのか分からないので、ひたすら♡を押すマシーンのようになっている。
ものづくりをしている人やイラストを描く人達を中心にフォローしていて、
楽しい投稿が多かったので、これほど悲しい思いをしたのは初めてだった。
「ギャラリー · ストーカー」というワードを見てドキッとした。
twitter を見るようになってから、私自身も幾つかギャラリーを回ってみたし、
胸に手を当てて考えてみるとちょっとアウトな面もあったかもしれない。
今までギャラリーのようなイベントの存在自体を意識したことが無かったので、
そのワード自体初めて聞く言葉だった。
調べてみると、「ギャラリー · ストーカー」の例としては、
在廊している女性作家をターゲットに、辛口な評論で精神的に追い詰め、
最終的に食事などの個人的な付き合いを強要してくる男性、
自分の価値観を押し付ける人、自慢話のような自分の話ばかりする人、
作家に対して差別的発言をする人、などがいるようだ。
このような体験をしている作家さんはかなり多くて、
それによって在廊することに恐怖を覚える人もいるらしい。
(被害は女性の方が多いのかもしれないが、
 男性でも不愉快な経験をすることはあるらしい。)

私の場合、もし自分の作品があったら、何を感じたかを聞きたいだろうと思う。
そんな自分本位の理由で、機会があれば感想を伝えるようにしようと考えてきたが、
それも伝え方や内容によっては負担あるいは恐怖と感じることがあるかもしれない。
(普通は面と向かって作品を貶めるような発言はできないと思うが、
 ものを作ったことがない人は割と平気で心ないことを言ってしまうのかもしれない。)

私の場合、超絶技巧を目の前にした興奮のあまり
「自分でもそれを作りたい」とか「何かを作る際のヒントに」
という意識が先行してしまって、
作品よりも技術的なことを聞いてしまうことがある。
これは、作家さんにしてみたら結構腹立たしいことなのかもしれない。
年配の職人さんの中には嬉しそうに技術を教えてくれる人もいて、
そんな人と話をするのが好きなのだが、
作家さんの場合には控えた方が良いかなと反省している。

作家さんに対して「羨ましい」という気持ちは当然私にもある。
「羨ましい」という言葉自体には、ネガティブな意味はないはずである。
自分には無くて欲しいものを他人が持っている時に「羨ましい」という感情が生じる、
極めてシンプルで人間として当たり前の感情である。
そこに、「好きなことだけやって生活できて」と枕を置くと、
そこにはその人の悪意が含まれている。
そもそも、好きなことだけで成立する仕事など存在しないと思うので、
完全に嫌がらせのためのセリフである。

 途中で「そういった人は妬みや嫉みでやっているのだから、放っておいてほしい」
というような内容のツイートで突っかかってきた人がいた。
確かにそういう訳の分からない人もたまにいる。
興味もないのに、ただからかいに来ているような人の場合、
無表情 · 無反応でやり過ごせるかもしれない。
下心があってやっている場合は結構厄介だろう。かなりしつこそうだ。
(こういう "名物オヤジ" は Bar にも出没し、一度見たことがある。とても厄介である。)

この予想外の乱入のせいで、論点がすっかりずらされてしまった。
いつの間にか仕事に対する考え方の議論になっていた。
(もちろん、その議論も興味深いものだけれども。
 もともとは、どんなことを言われると作家は嫌だと感じるか、
 どんな嫌な経験があるかという話で、それらを共有することは有意義なことである。
 皆が私を責めているようで、読むのがただただ辛かったけれども。)
ちなみに、(仕事に対する考え方は人それぞれだと思うが、)
私は好きなことでも仕事になるとたちまち作業がつまらなくなるタイプの人間である。
ものづくりが好きでも、完全な自由がある場合に限ってのことなので、
ものづくり作家には向かないかもしれない。
(作ったものは手放したくないという側面もある。)
作業自体が好きか嫌いかは私にとってはそれほど問題ではない。
楽に達成できること(得意であること)は重要なことである。
結局、仕事は生活の糧なので、さばく速さ、効率的に金を生むことが重要である。
また、できるだけ仕事をしたくない。余暇があることが重要である。
その時間が取れなくなったら、多分生きていけない。
きっと仕事を辞めるだろう。それか文字通り死ぬだろう。


私が作家さんに対して「羨ましい」と思う点は、
食っていくために努力を重ね、身につけた技術、その過程で出来た仲間達、
そんなかけがえのないものを持っているところだろうか。
趣味だけでやるか、仕事でもやっているかでは、
到達できる技術の高さとその習得のスピードに歴然とした差が生じる。
その技術を心から身に付けたいと願う時、
それは「羨ましい」としか表現し得ないのではないだろうか。
また、私のように、人と仕事をするのが心底嫌いな社会不適合者にとっては、
個人事業主というのは憧れではある。

まともな感覚があれば、「個人事業主が楽だ」などという発想は出ないだろう。
(本気でそう思っているとしたら、想像力に欠ける人である。)
私のように、好きなことは趣味として適当にやっている方が楽に決まっている。
ものづくり作家、アーティスト、彫刻家、画家、···、そういった人に対しては、
私は尊敬の念しかない。作品は生きる活力を与えてくれる。
だから、その人たちの活動に対して私はできる限りのポジティブな存在でありたい。
実際に私にできるのは、作品を買うことくらいである。
もし、私がお金持ちであったら、そのようなことに浪費をしたい。
(残念ながら、そうはなれそうもない。)