東京に住むようになって暇を見つけては色々な街を散策するようになったけれど、
一番行く機会が多いのはやはり新宿である。
経由地として必ず通るというのが一番の理由だが、
街自体の魅力という点でも他の街とは一線を画していて、
いつも少し寄り道してから帰ろうかという気分になる。
街の名前から予想できるように、
もともとは江戸時代に成立した宿場であったという。
江戸から甲府までの主要街道として整備された甲州街道であるが、
第一の宿場であった高井戸までは距離があったため、
甲州街道や成木街道(現:青梅街道)を往来する人馬の休憩所として利用されたのが
内藤宿と呼ばれ、1620年頃のことらしい。
内藤氏がこの一帯を所領とした経緯は、豊臣秀吉によって後北条氏が滅ぼされ、
徳川家康が1590年に江戸に入府する際に後北条氏の残党からの警備として、
徳川氏に仕えていた内藤清成が鉄砲隊を率いて現在の新宿二丁目あたりに陣を敷き、
その功績で付近一帯を拝領したという。
はじめは正規の宿場ではなかったが、1697年に新たな宿場を開設し、
内藤新宿と称されるようになったのが、「新宿」の始まりということである。
JR の改札口(南口)を出て、甲州街道に沿って歩く。
道の向かいにはバスタ新宿、
こちら側ではいつ来てもストリートミュージシャンや道化師がいて、
新宿の名所の一つと言って良いかもしれない。
東南口の辺りからは、道が高くなっているので、
路地を眺めながら歩くのもおもしろい。
大塚家具の辺りから見えるカーブの先はあまり歩くことがない。
何度も来ているはずなのだが、
方向音痴な私は駅のどの出口から出れば地上のどこに出るのか、
いまだに把握できていないし、
今いる場所が新宿の何丁目かというのも曖昧だったりする。
この辺りが新宿4丁目だというのを今更ながら地図で確認している。
大塚家具の手前の路地へ左折して、天ぷら「つな八」·「船橋屋」を通り過ぎ、
旧甲州街道(新宿通り)にぶつかる。右折して、新宿三丁目の方へ向かう。
右手にはマルイ、道の向かい側には伊勢丹がある。
新宿三丁目の一区画は、飲食店がひしめき合っていて、
新宿に来れば必ず立ち寄るのが日課になっている。
夜にはいつも満席で入ることができない「香港屋台 九龍」、
少し遅い昼食ならば入ることができるので、この時間帯にしか入ったことがない。
日替りメニューのチャーハン。ごく普通のチャーハンだが、旨い。
家の近所にこんな店が欲しいところだが、
近所だとかえってそれほど熱心に店を探さないせいもあるのか、
なかなか良い店が見つけられていない。
小説や漫画などでは危険で荒んだ雰囲気の街として描かれることが多いし、
実際そのような面もあるのだろうが、
私自身は、この街に来るとなぜかいつもわくわくする。
旅行から帰ってスタジオ アルタの前の人混みを見ると、
またこの街に帰ってきたなと、
なんとなくアットホームな感じの安心感を覚えるのである。
このような感情は、私が幼い頃に過ごした町や少年時代の大部分を過ごした町
に対して抱いているのとは全く異なる感覚で、もっと心地よいものである。
大都会であるにもかかわらず、無機質でない、
街全体が生命体であるかのような力強さがある。
「眠らない街」という表現は、新宿のそんな特徴をうまく捉えていると思う。