しばらくはレンズは買わないでいいなーと思っていたのに、Super-Takumar 55mm F1.8 を使ってみたらなかなか面白いので、変なスイッチが入ってしまい、またいくつかオールドレンズを購入してしまった。
少し前 Jupiter-9 85mm F2 を使ってなかなかよかったのだが、これがロシア製の Carl Zeiss のコピーレンズということで、本家のレンズはどんなものかというのが気になっていた。
現行の Carl Zeiss のレンズは Pentax 用の K マウントはもしかするとディスコンになっているようで、注意深く探せばまだあるのかもしれないが、あまり見つけることはできない(私は購入はもっぱら Web )。
しかし、あったとしても 8 万円くらいするようなレンズをホイホイ買ってもいられないので、どうしようかと考えるとやはり M42 スクリューマウントだよな、となる。
それで Carl Zeiss Jena Tessar 50mm F2.8 のシルバー銅鏡のモデルを見つけたので入手した。
M42 マウントといっても、人気があるのか、このレンズはなかなか高かった(2万円とちょい)。
で、最近の慣例に従い、今回は開放 f2.8 縛りの編集モノクローム。遠目だと結構かっちり写ってる感じがする。
寄ると背景がすごいことになってる。上はたぶん限界まで寄ったところだと思う。
玉ボケが綺麗である。これだけで買ってよかったと思える。
f2.8 なので対象の花の奥の方はピントが少し甘いけど、大体は全体に合っているなと感じる。解像感もすごい。
連続的なボケ具合もまあ結構自然な気がする。ピントを置く位置にもよるのだろうか。
こちらは特に違和感なしかなと思う。
最短撮影距離は 35 cm くらいで、案外寄れる。
寄れるとマクロレンズ的な感じで撮れるので楽しい。
正直、マクロレンズって普通のレンズと何が違うのか(レンズ構成とか?)よく理解していない。
マクロレンズの特徴として、鏡筒がズーンと伸びるというのがある。
少し調べてみても、分かりやすい情報源はあまり見つけられなかった。
マクロレンズと言ってもレンズの構成はあまり変わらないらしい。
推測なのだが、恐らく寄って撮る時に性能が最大限に発揮されるようになっているのだと思う。
性能というのは、像の歪みとかがなるべく無いようになっているのだろう。
マクロレンズは寄って撮れる一方で、普通の望遠レンズ的な使い方もできる。
そのような用途にするために、開放の明るさは控えめで、F2.8 くらいのものが多い、という説明を見かけた。
確かに、マクロレンズで F1.4 とかはあまりみたことがない。
で、このレンズは単焦点だけど開放 F2.8 となっていて、そんなところもどこかマクロレンズを連想させるような要素がある。
Pentax の M42 マウントレンズと比べても、このレンズは小さめである。
K-3 III に装着すると、電子接点が剥き出しになる。
そんな訳で、雨の時はちょっと気になるかもしれない。
しかし、見た目は独特な感じが出てなかなか良い。
Takumar が堅実なレンズだとしたら、こちらは個性の強いレンズと言えるかもしれない。
プレビュー時に少し期待を持ちながら、いざ開いてみると少しの驚きがあるレンズである。
このような玉ボケ、撮ってる時にはあまり気にとまらないのだけど、とても好みである。
毎年、紫陽花の時期は何となく出遅れてしまうところがあったが、今年は新鮮なうちに撮ることができてよかった。
5月の終わり頃である。
梅雨というと6月のイメージだが、6月中旬以降になると、花も新鮮味を失ってくるかもしれない。
この時期の移り変わりは本当にはやくて、油断していると見逃していることがたくさんありそうである。
毎年毎年、体験しているはずなのに、それだけ身の回りのことに気を配れていないのだろう。
毎年毎年、体験できると言っても、せいぜい 80 回くらいしか体験できないと考えると、ずいぶん貴重なことだと思う。
そのうちの約半分の 40 回くらい体験したはずなのに、実際に注意深く体験しているのは案外数回だけかもしれない。
小学校から中学校の頃、授業を受けながら、「毎日毎日、部屋の中にいるのがずいぶんと勿体無いことをしているよな」と思ったことがあった。
それ以前は、毎日毎日、空き地を練り歩きながら、たくさんの発見があったというのに。
毎日毎日、黒板の文字をノートに書き写すだけで、私にとっては時間の浪費にしか思えなかった。
仕事は、社会生活は、無駄なことだらけだから、実質的に意味がなくても形式上の秩序を与えるために必要なことだらけだから、それに慣れさせなければいけない。
義務教育というのは、そんな風に心を鈍感にさせるためにあるのだろうか。
何もない箱の中に居続ける訓練をさせることによって。