"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

読書感想文

夏休みの読書感想文で一度、
8月31日に深夜遅くまで泣きながら書いた記憶が強く残っている。
言わずと知れた小学校時代の苦行の一つである。
何年生の時だったのだろうかと思い返してみると、
やはり 1 年生の時だったのだと思う。
私も例外なく洗礼を受けたのだった。
夏休みの前に図書室で 3 冊本を借りるのだが、
どれを借りたら良いのか分からない。
クラスで借りている人が多かったので、
ズッ◯ケ3人組のシリーズの一つを借りた。
夏休みのどのくらいの時点で読み終わっていたのか定かではないが、
とにかく 8月31日に、もうその本で感想文を書かざるを得ない状況になり、
普段なら寝る時間になっても、一文字も書けていないのだった。
そのことが父親にばれて、なぜ今日まで感想文を仕上げなかったのかについて、
そこから 2-3 時間は散々絞られた。
同じことを何回も何回も聞かされるので、
これは一体何の時間なんだよと内心は思っていたが、
何かを言えるような雰囲気でもなく、
ただ黙って説教が終わるのを待つしかなかった。
それから母親が見守る中、作文の作業に取り掛かったのだが、
すでに 24 時はとっくに回っていたと思う。
この時、私は初めて絶望を味わったのかもしれない。
実際のところ、当時の私には本の内容がまず面白いと感じなかったようで、
何も書くことが思いつかなかった。
何となく記憶に残っているのは、
本の中で無人島かどこかに住んでいたおじさんが、
鶏の羽をむしり取ってから包丁でさばく、という描写があって、
そのことについて何かコメントしたような気がする。
それが私がその本に対して抱いた唯一の感想で、
当然ながら字数が足りないので、
後はどうでもいいことをひたすら原稿用紙のマス目に埋める作業であった。
時々、普段では経験することのない時刻を時計の針が差しているのを眺めて、
こんなに遅くまで起きていても平気なのだと、不思議な感じがした。
翌日、普通に起きて学校に通学できたのか、記憶がない。

今、改めて考えてみると、
小学校低学年向けの本を読んで感想文を書くというのは、
ずいぶんと高度な宿題で、今の私でもなかなか骨の折れる仕事だろう。
まず、本の選択によって、
感想を比較的書きやすい種類の本とそうでない本があるが、
小学生の私にはそんなことは分かるはずもなかった。
1,2 年生の頃など、表紙の絵で本を選んでいたと思う。
2 年生の夏休み前、再び図書室で本を選ぶ時間がやってきた。
本棚の背の届かない高い場所にある本を担任の先生に頼んで取ってもらった。
いかにも内容の無さそうな本を選んでいた私を気にかけてくれたのか、
先生はその本を私に手渡した後に『くまの子ウーフ』の本を推薦してくれた。
2 年生の担任の先生は普段は比較的厳しい人だったのだが、
近所で家庭訪問をしている時間にたまたま友達と遊んでいて、
一緒に訪問先のクラスメイトの家への道案内などしていたら、
(私には珍しく)その先生とは信頼関係が生まれたような感じがあった。
しかし、その時どんなやり取りをしたのかあまり詳しく覚えていないが、
私は取ってもらった "内容の無い本" をその時は借りたのだった。
下手なことは言っていないと思うけれど、少し気を悪くしたかもしれない。
それでも、先生は特別怒ったようなそぶりも見せなかったし、
そのまま私を放っておいてくれた。
借りた本を読んでみると、案の定、何も書けそうもなかった。
先生が勧めてくれた本を借りなかったことが気にもなっていたので、
何としても今年は『くまの子ウーフ』で感想文を書こうと決めて、
後日、書店で親に買ってもらってその本を読んだのだった。
今の私ならば、何か感じることがあるかもしれない。
しかし、当時の私には先生がどうしてその本を勧めてくれたのか、
正直よく分からなかった。
「ウーフはおしっこでできてるか??」なんていう章を読んで、
一体何を書いて良いか分からなかったけれど、
何かしら原稿用紙のマス目を埋めることはできたのだろう。
"その本を読んだ" という事実を先生に知ってもらいたかっただけだったので、
書いた内容には納得がいかなかったけれど、気にしないことにした。
その感想文について先生はもちろん特別なことは言わなかったけれど、
自分の書いたものに対して納得がいかないという感情を持ったという点では、
私の中で少し精神的な進歩があったのである。