"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

黄金の環

8月の終わり頃のことである。
何をする気も起きなくて、腹も減ってきたので外へ出た。
人気もなく、静まりかえっている。
少し湿気を帯びてはいるが、思ったより心地よい。
木々の葉がさらさらと音を立て、耳の横をびゅうっと風が通り抜けた。
街灯のせいか、セミが賑やかに鳴いている。
ひぐらしとも違うようだが、アブラゼミだろうか。
いつの間にか秋の虫もコロコロ、リンリンと鳴いている。
子供の頃には、夕刻になるとひぐらしの声が かなかな と聞こえてきて、
妙に寂しいような気持ちになったものだったが、
このような盛大な大合唱では感傷的どころか興が削がれるというものである。

 

この季節になると、なぜだか分からないがそわそわした気分になる。
何かこう、自分の周りの空気の層 1 cm 分くらいを体にまとったような、
それらの空気の層がまるで体の一部になったような、
そんな敏感さがある。後頭部から背中にかけては特に敏感なようだ。
そして、私の頭の中には、一つのイメージがこびりついていた。
考えてみれば、昨年のこの時期もそのイメージは度々私の頭の中に現れた。
黄金色に光る円環のイメージである。
その輪は真夏の最も暑いだろう時間に、
暑さで空気の層がゆらゆらと揺れて、物の形がねじ曲がって見えるような、
そんな中にちょうど人の背の高さと同じくらいの高さで、
地面と平行に小さな輪を描いていた。
大きさは両手で抱えられるくらいだろうか。
何か光る小さなものの集合体がぐるぐると回っているのかもしれない。
それも物凄い速さで。
円環の軌道は真円なのだが、
勢い余って円の外側に飛び出すものがあるせいで、
外側はギザギザが見えるくらいである。
外に飛び出したものは、すっと消えてしまうようで、見えなくなるのだが、
その環が小さくなったり、無くなる様子はなくて、ギラギラと光り続けている。
中心付近から永遠に供給され続けているのだろうか。
この円環のイメージが、風呂に入った時や寝る前など、
生活をしているふとした瞬間に、頭の中に流れ込んでくるのである。
何か意味があるのだろうか。
ある時、夢を見ていて、
その夢の中で黄金の環の意味するところを理解できたような感覚があった。
起きた時、数秒間はその線が繋がったような感覚が確かにあったのだが、
その後どうにも分からなくなってしまった。
何かが環のように繋がると、それは安定した状態になり、
始まりと終わりの境目が無くなる。
似たような連続した流れが、永遠と続いていく。
ただ、自分の中で、
何かが環のように閉じたという感覚だったのかもしれない。

 

9月に入って二週間以上が過ぎた。
夜になるのを待って仕事場で一人佇む。
なんだか随分と蒸し暑い。昨日までは涼しくなったと思っていたのに。
さすがにセミの声はもう聞こえない。
窓の外からは、リーーー と秋の虫の声だけが聞こえている。