私には霊感というものが全く無いようである。
無いからこそという面もあるのだろうが、怪談·奇談の類は結構好きで、
アニメで好きなものはと考えてみれば、
漆原友紀 の『蟲師』とか 緑川ゆき の『夏目友人帳』がまず思い浮かぶ。
夏目友人帳 - Wikipedia
芥川龍之介は文体が好きでよく読んだが、古典に題材をとっているせいもあるのか、
どこか怪異談めいた雰囲気があるように思う。
夏目漱石はそれほど読んでいないが、『夢十夜』はかなり好きである。
ある時、本屋をブラブラしていて、内田百閒の『東京日記』の帯に目が止まった。
「市ヶ谷の暗闇坂を上った横町から、
四谷塩町の通へ出ようと思って歩いて行くと、
道端の家に釣るしてあった夏祭の提灯が一つ道に落ちて、
往来を転がった。」
文体というか、文の呼吸が絶妙である。
理屈では到底理解し得ないものを描いた怪異小説、
「あ、そういう感じで終わるのね。」と、ちょっと驚いたり。
「わかりやすさ」とか「話のオチ」とかいったものに、
いつの間にか慣らされている、
あたかもそういったものが必要不可欠であるかのように思い込まされている、
そんな自分に気づいた。
昔の自分はそういうことがしたくてもできなかったので、
できるようになろうといろいろ考えるようになったのだけれど、
できた上であえてしないというのも選択肢だなと思う。
まあ、できようが、できなかろうが、
出来上がったものが何らかの点で完結していたり美点なりがあるのならば、
それはそれで良いのだろうけど。
それから、『冥途 · 旅順入城式』もすぐに読んだ。
今年の夏はなんだか外に出かける気になれなくて、家にこもって本ばかり読んでいた。
夏はやっぱり怪談だよなということで、一人百物語でもしようと思い立って、
ラフカディオ·ハーンの『怪談』をまず読んだ。
話の長さは様々で、十七編のはなしが収められていた。
今までどこかで題材にされているのを目にしながら、
ちゃんと読んだことがなかったり、
子供の頃に聞いたことはあるがいつの間にか忘れてしまったようなはなし、例えば、
「耳なし芳一のはなし」·「雪おんな」·「ろくろ首」
など、改めて読んでみるとなかなか興味深い。
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それから、ずっと実家に置いてあったものを引き取って、
今までほとんど開いたことがなかった『日本古典文学全集』、その48巻は、
『英草子(はなぶさぞうし)』·『西山物語』· 『雨月物語』· 『春雨物語』
をまとめたもので、全部で30編ほどの話が収められている。
原文は古文なのでさすがに読みこなすことはできなかったが、
現代語訳は文のリズムが良く音読したくなる。
実際、途中から音読するようにしたが、独特の調子が体に染み込んでくるようである。
結局、何日かかけて読んでも五十話にも満たない程度なので、
一晩で百話もの物語を語りきるには、
それなりに短くまとめたものでないと無理だなということがわかった。
『雨月物語』の「蛇性の婬(じゃせいのいん)」は蛇の妖が人間に化けて、
惚れた男につきまとう、というような話だが、
元々は相思相愛の仲だったものの、周りの人間との間の不和が元で、
男も次第に女を恐れるようになっていく。
「雪おんな」の場合は、男が約束を破って昔雪おんなに会った話を、
妻(雪おんな)にしてしまい、
男の方は妻の正体に気づいていたか微妙なところであったのに、
女の方が一方的に身を引くというような話であった。
種族を超えた相愛というのは、現代でもしばしば描かれる題材であるが、
先の二つの話では相容れないものであるが故の離別が結末であったのに対し、
現代では互いに歩み寄るような結末の方が多く見られるように思う。
恋に落ちた相手、親しくなった友人が妖だったとしたら...、
それもわるくないと思うのは、私だけではないだろう。