"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

煙草は絶滅するか

 

 最近、Amazon で開口健をいろいろ検索していたせいか、オススメにこの本が出てきた。タイトルと本の装丁を見て思わず購入してしまった。ジャケ買いである。店頭でなくてもジャケ買いというのが成立するんだなと、自分で購入しながらも、感心する。届いた本を開いてみると、いろいろな作家が煙草について書いたエッセー集のようである。 初版が発行されたのが、2018年1月28日である。すでに亡くなられた作家の文章もあるから、書かれた時期は様々なのだろう。しかし、こうやってまとめたものを読んでみると、最近の禁煙ブームという時代の雰囲気にマッチしているので、最近書かれたものかと錯覚してしまうような面白さがある。煙草への攻撃は昔からずっとあったということだろう。では、昔と今とでは何が変わったのか。昔のことはよく知らないが、最近は法令(条例?)に喫煙できる場所を制限し始めたので、「行政が禁煙キャンペーンを始めた」とメディアが取り上げたり、飲食店等で話題に上がったりすることが多くなったのだろう。行政の介入に関しては何人かの作家が取り上げている。行政の介入に関する抵抗感は私自身も感じるのだが、喫煙者のマナーの問題を考えると頭から否定もできない。小さい頃は東京の駅に行くと、煙草の吸殻だらけ、排水溝を覗いても吸殻だらけで、子供ながら水が詰まったりしないのかとか、いつかこれは溢れてしまうだろうけど、誰かがいっぺんに掃除するのだろうかと不思議に思ったりした。そういったものを見ていたから、東京は汚いところだとか、都会は嫌いだという印象を漠然と持っていた。しかし、大人になってみるとそのような吸殻だらけの光景はいつの間にか消えていたのである。この間に何が起きたのか。きっと街の美化に尽力してきた人達がいたのだろう。私は吸殻が落ちていない今の街の方が好きである。

 本を読んでいて面白かったのは、煙草がうまいという人がもいれば、大してうまくもないけれど間を持たせる小道具としてはとても良いんだという人もいる、というようにいろいろな意見があることだ。また、体への害についてはだいたいの人は認めているが、やめる気はない人もいれば、やめたいけどやめられない人もいる、やめざるをえなくなった人もいる。きっと、煙草と各個人との関係性は人の数だけあると言っても良いのだろう。好みや体質も当然関わってくるだろう。私自身が煙草について嫌な点があるとすれば、朝起きた時に口から匂ってくる、あるいは腹の底からわき起こってくるような不快臭である。これは単に自分が歳をとったということかもしれない。あるいは、歯にこびりついたヤニ、寝ている間の口の乾燥が原因かもしれない。しかし、こういった負の面を考慮に入れても、今のところは私は煙草を吸い続けるだろう。

 街で喫煙スペースがなくなった時、皆どこで煙草を吸うのだろう。家に帰っても家族がいれば、文字通り煙たがられるだろう。マンションのような共同住宅では洗濯物に匂いが移るということでベランダで吸うことも許されないという。そうするともう家の中でしか吸えなくなる。独り者ならば部屋で吸う人もいるだろう。私は部屋に匂いが移るのが嫌なので、苦肉の索で風呂場を喫煙スペースにしている。文章を書いていると、時々無性に煙草を吸いながら書きたくなることがあり、この点で不満はあるのだが、風呂場限定にしているおかげで頻度を抑えられているという利点はあるかもしれない。最近の家屋は断熱性能が良くてエネルギー的には効率的なのかもしれないが、昔ながらの日本家屋というのは風通しが良くて、煙草を吸うにはとても良いと思う。田舎の山の中とかに日本家屋を建てて山や川を眺めながら、煙草を吸い、物思いにふけり、文章を書いたり物を作ったりするのは一つの憧れなのだが、それはそれでいろいろ不便もあるだろう。

 煙草は絶滅するだろうか。しないとすれば、家族が我慢するか、家族を持たない人が増えるか、各家庭に喫煙ルームと強力な排気装置が設置されていくか(きっとこれはないだろう)。パイプやシガーを吸う人はもともと家や Bar でしか吸わないだろうから、特に影響はないだろう(Bar まで禁止されると困るが)。最近の加熱式煙草の爆発的なヒットは、最近の禁煙ブームの風潮から見ると、必然的なものだったとも思える(商売が上手いと感心する)。どうも煙草は絶滅することはないのではないかと、私は思っている。