"photobashiru" ...

写真を中心に、ほとばしってるものを。

「ニコチンへの依存性?」について

 たばこを嗜むようになってから三年ほど経つ。現在、私は三十五歳であるから、やや遅いスタートと言える。自由に使える金がようやく少し出来てきて、Bar に行くようになり、葉巻(シガー)から始めた。それからパイプも覚えた。現在では、平日はパイプかドライシガー、週末にシガーを一本といったところである。平日は夜寝る前に風呂に入りながら、喫煙するくらいのものである。私に関する限り、たばこへの依存というのはほとんど感じない。日中は全く吸いたくならないし、夜のわずかばかりの喫煙も思索や瞑想の供として具合が良いという程度のものである。酒やたばこなしの思索は味気ないもので、それ程長時間は耐えられないだろう。たばこがあることによって心が落ち着き、一日の終わりを感じることができる。

 「たばこ」と言うと、一般的には「紙巻きたばこ」を連想するだろうが、「紙巻きたばこ」は思索の供としてはあまりよろしくない。パイプやシガーは吸いきるのに一時間はかかるだろうが、紙巻はせいぜい五分程度だろう。香りにおいても紙の匂いがきつくて、その上この匂いが残りやすいものだから、鼻腔にいつまでも嫌な匂いが残ってしまい、思索に集中できなくなる。パイプやシガーは純粋にたばこの香りを味わうことができ、紙巻とは全く別物である。

 とは言っても、どういう訳か、ごくたまに紙巻きたばこを吸いたい気分になるのも事実である。私が思うに紙巻きたばこへの依存性の高さの秘密は巻紙の匂いにあるのではないかと思う。人はどういう訳かジャンクフードに依存性を示す傾向があるように思うが、紙が燃える匂いにはどこかジャンクフードに近いものを感じる。(紙巻きたばこの銘柄は、しばしば小説等の小道具として使われるので、私も一時いろいろな銘柄の香りを吸い比べてみたことがある。確かに、各銘柄で香りは千差万別であり、それらの選択が小説家の好みによるものか、小説の登場人物の性格を特徴づける要素なのか、は判断しかねるが、確かに作中人物に愛着のようなものを感じるようになるのは事実である。)何度か挑戦したのだが、私は煙を肺に入れることがどうしてもできない。パイプやシガーのように口の中でふかすだけなものだから、紙巻きたばこは全く吸った心地がしない。そうすると、もう一本、とチェーンスモークしたくなる。紙巻きたばこへの依存性が大きいもう一つの理由は、一本あたりの軽さ·手軽さ·習慣になりやすさ、が大いに関係しているように思う。

 シガーはたばこの葉のブレンドでできたものである。たばこの葉というのは、葉の生えている位置(太陽に近いとか遠いとか)によって含まれるニコチンの量とか香りが違うのである。ニコチンの量が多いブレンドのシガーになると、時にガツンとヤニクラがきて、立っていられないくらいになることがある。これはちょっとした恐怖である。何度か死ぬんじゃないかというくらい苦しい思いをしたこともある。こんなこともあるくらいだから、摂取しているニコチンの量としては紙巻たばこなど比べものにならない程多いのだと思う。それでも、それほど依存性は感じないのである。そんな訳で、私は「ニコチンへの依存性」という表現には疑問を抱いているのである。